森の世紀が始まりました (最終回)
── 夢、 トマトの木の森(5) ──
日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授 江刺洋司
今や人類の最大の挑戦課題は、地球温暖化阻止です。従来は温暖化の悪役であった大気中のCO2濃度を下げる主役は森林と海洋でした。しかし、ガス溶解度の低下を招く水温上昇は、海洋の役割を低め、各海域で珊瑚の白化現象を招いています。となれば、自然界でのCO2吸収には、一時的貯留ではあっても、森林に期待せざるを得ません。しかし、その森林さえも膨張し続ける人類によって食料生産の場へ、更には化石燃料代替エネルギー生産の場へと転換・破壊され減り続けています。幸い日本では、人口は増大から減少に転じ、森林復元の場が開けつつあります。特に、急速な過疎化は中山間地から始まり、日本自体が古代に戻ったかのように、多くの動物達と人間の棲み分けも選択出来る時代を間近にしています。また、化石燃料の枯渇は、戦前のような木材を燃料とする生活への復帰さえ予感させます。
これらのことは、日本列島の本格的緑化政策の立案が必要なだけでなく、人間が占有する都会であっても市民にやすらぎや、憩いを与える緑の空間づくりに積極的に取り組むべき時代の到来を示唆しています。このNPOの活動もそのような時代の到来を視野に入れたものでしょう。人口減少は都心にも、市民の遊び心を満たしながら、地球環境の保全に貢献する役割、公園面積の増大や各家庭での植樹などが望まれます。そこでこのエッセイの最後では、これまで学んだことを活かす夢の公園、トマトの木の森を理論的には作れることを紹介して見ましょう。ただ、それが明日の市民生活が求める自然との共生に相応しいものとして私が話そうとしているのではないということを述べ、皆さんの誤解を避けておきたいと思います。
都心でのトマトの木の森の創生は夢ではない
間もなく脱化石燃料の時代が始まり、大気汚染は都市では無縁なものとなり、大気中に蓄積し続け気候変動をもたらすCO2やメタンガスを減らすために人類は挑戦する時代となるはずです。その点では、このNPO活動、都市に一本の木でも増やしましょうとの試みは益々重みを増すに違いありません。「市民が大都会の真ん中で年間を通じて、農薬汚染とも無縁に真っ赤に熟したトマトを味わうことができる森を作れる」と云う話は、このNPO活動のシンボルとして植物が生きるとは何かを学んで欲しく描きました。それが理論的に可能なことを学んで、命の営みの本質は私達人類とも共有している普遍的なものであることを学んでもらったのです。そして最後に、理論的に草本植物を木本植物に単に化けさせるだけではなく、実際にどのようにしたらトマトの木の森を作ることが出来るのかを、具体的に述べまとめとするのも意義あることでしょう。それこそがこのエッセイ連載での学びの集大成であり、動植物を通じて生きることの普遍性から逆に、植物に固有の生き方の違いを学ぶ機会となればと願うからです。
高等緑色植物の地上部の生育を支えたのは根系でした(第16回)。根系の発達は自然界では地上部から送られて来る光合成産物(炭水化物)だけでは足らずに、根自体も地下で自らCO2を吸収還元して自らの発達を支えていました(第20回以降)。しかし、トマトを樹木にまで変身させるには多くの条件を満足させねばなりません。無機栄養元素の必要量を持続的に供与するには、塩基性を示す炭酸塩を培養液に使えないので(第34回)、根自体が酸素呼吸で排出するCO2が細胞外に放出される前に、それを有機物生産、特に根の木化に使えるようにする条件付加は必須要件で、細胞内に存在する間に自らの細胞分裂と細胞生長(有機物生産)に再利用させるべく生体ダイナモをフル回転させることが眼目でした(第24,27回)。CO2の再利用に必要な条件は豊富なATPとNADPHの均衡ある供給(第32回)でしたので、それに必要な環境条件であるCO2を含む空気を培地の水耕液中に吹き込み続けることが、成功の鍵でした。有機物の主要骨材である炭素源を確保しながら、酵素反応の速度を保ちながらATPとNADPHの均衡ある供給条件と、それらが体内時計に対応してめりはりをもって利用されるように、地上部にも地下部にも昼夜に対応する温度変化を与えることが必要となります(第30回)。植物固有の二つの酸素呼吸系を100%上手く稼動させることで、昼夜を問わずに有機物生産を持続させる条件を与え続けるのです(第31回)。(ただし、ATPやNADPH生産と連携させずに植物固有のシアン耐性酸素呼吸系だけを昂進させると老化を促がすので注意が必要。参考書:「植物の生と死」 江刺洋司著、平凡社、1997)。
しかし、トマトの木の森は維持管理からすれば夢でしかない
では、実際にトマトを用いて森の創作に取り組みましょう(第15回)。後楽園球場のような広大なドーム型建物の屋根を開閉可能な透明なフイルムで覆います。気温が20℃もあれば夜間も開いたままにしますが、気温が下がって来たら夜には閉じます。晩秋からは昼夜を問わず締め切ったままにし、戸外の大気中のCO2を一旦、苛性ソーダに吸収させてから球場内にパイプで引き込み、球場内で塩酸で中和してCO2を再発生させて、トマトの木の葉での光合成効果を充分に活かします(中和に塩酸を用いれば、食塩となって環境汚染になりません)。夏でも曇天・雨天の際には照明灯を灯し、晩秋になって日が短くなって来たら屋根を閉じ、夕方朝方には矢張り照明しますが、光合成に有益な波長光(青と赤色光)だけを照射してエネルギーの無駄を省きます。屋根を閉じた時には大気中へのCO2の補給は昼夜を問わず忘れないことです。
球場内の中心部の一部はそのまま大きなコンクリート製の池にしますが、池上に管理者用の幅広い通路を縦横に設け、通路に沿って空気バブリングと培養基循環用の2種のパイプを張り巡らし、各所から大気(O2・CO2)を培養液中に吹き込みます。勿論、気温、水温をある範囲で調節する装置の設置も必要ですが、培養液の温度は大気のそれより下げて昼夜の変動を与えます。室内では昼間には25℃以上に、夜間には15℃以下に下げず、水耕液中の元素組成とpH値は常時モニターして一定に維持します(第34回)。トマトの木の樹形は森の目的に沿って剪定することです。池がトマトの根系で目詰まりするまではトマトの木は繁茂し続けて市民に愛されるでしょうが、O2で飽和された培養液が根系間を自由に移動し、池の中で根が伸びる空間を失った時に、トマトの木に寿命が来ます。ただ、その際に一部のトマトの木を抜き取って(間伐)、再度池の中に根系が伸びる空間を提供するならば、残りのトマトの木は更に寿命を延ばしますが、最後まで残った一本のトマトの木を、地上部と根系の均衡を取るために、両者を適切に剪定するなら、都心に縄文杉のようなトマトの木を子孫に遺すことも理論的には可能です。ナス科の野菜のように形成層を有する野菜、ナス、ピーマンの森も作れるかも知れません。
トマトの森ドームが理論的には実現できても、もはやそれを計画通りに何十年も稼動させる電力確保は難しく、劣化する樹脂製ドームを補修する素材、石油もやがて枯渇します。化石燃料が有限なだけでなく、原子力発電のためのウラン鉱石も有限で、その大部分は今世紀中に枯渇する運命にあります。私達が、未来の地球号の行く末を案じた1980年代後半に、四半世紀も経たぬ内に13億人が生きる中国も、10億人が住むインドもこれほど高い経済成長を示すことも、世界人口が63億に達して、つまり化石燃料消費が進むとは、初回の地球サミット開催時点では思いもよらぬことでした。今や、エネルギーに余力が無いだけでなく、地球温暖化はもはや危機的状況にまで進んでいるにも拘らず、赤外線吸収効率がCO2よりも遥かに高い天然ガスに依存しようとさえしています。地球温暖化は救いようもない速度で不可逆的に進行し地球の明日さえ読めぬ時代に、ドームを更新する素材も電力供給にも限界が見えている現在、トマトの森はもはや夢の世界に留めざるを得ないのです。 私達の日本樹木種子研究所は、写真(30)に見るような大地を根系のネットワークで被覆するような強靭な表層から成る災害に強い森林への再生を目指し、それには種子からの樹林化を普及させねばと考えて活躍しています。それは、国際的宿題となっている極地での広大な伐採跡地を湖沼化する前の針葉樹林再生復元にも適用させ得る合理的手法と自負しています。
幸い、日本は降雨に恵まれ、急峻な国土は森林を破壊したからといって湿地が出来ることもありません。既に日本人口は減少期に入り、100年後には人口はほぼ半減すると推定されています。とすれば、食料自給率は自然に充足し、中山間地の田畑や丘陵地のゴルフ場を雑木林や里山に戻すことが可能です。脱石油社会は間もなく到来し、マイカーと決別する人々も増えますが、先進国のリーダーとして日本はこれらの大地を率先して森林に復元し、京都議定書で公約した地球温暖化阻止の約束を守るべきです。
用材用にするにせよ(写真31)、自然林として保全(写真32)するにせよ、世界に誇れる森林とは、それらの根系ネットワークが自然災害から子孫を守る役割をも果たすものでなければならないのです。
森林の重要性を見直そう
このような深刻な地球の崩壊を目前にして、多少とも人類の住処であるこの地球を子孫が安心して暮せるようにさせ得る唯一の手段は、地球上に少しでも木を植え、森を造る以外にありません。地球の温暖化は海洋水温を高めて水蒸気圧を高め、世界各地は局在化した乾燥と異常気象による風水害で打撃を受けています。地球温暖化を阻止するには人類がクリーンエネルギー依存への切り替えを急がねばなりませんが、だからと云って既に産業革命以降に大気中に浮遊するCO2が減る訳も無く、発展途上国での発生増大を考慮すれば京都議定書は絵に描いた餅に過ぎません。しかも、地球温暖化は天然ガス依存によって、更に深刻な事態を招きつつあり、地球環境の破局に尽き進んでいます。その上、バイオ燃料依存と言うのですから何をか言わんやです。
メタンガスの吸収削減は容易ではありませんが、バイオ燃料は森林破壊、食料生産低下と無縁に使える範囲でなら使用を認め得るでしょう。しかし、現時点で最大の悪役はCO2ですが、その排出を抑えても既存のCO2を減らせる訳ではありません。地下奥深くに押し込めようとしても莫大なエネルギーに依存すること無くして出来ません。となれば、地球を破局から救うのは森林をこれ以上破壊しない、逆に積極的に造林に取り組むことが急がれます(表2)。
種子からの造林* : 日本樹木種子研究所の役割
○・◎、の記号とそれらの個数は各機能における相対的な重要性の増加を示す。
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地球温暖化による異状気象は各国に大風水害をもたらしています。森林はこれらの災害を防止するにも大きな貢献をしています(表2、第35回、写真30)。そしてその防災的機能は地層に根系ネットワークを作り難いポット苗利用の植林で得られるものではありません。自然生態系そのままに種子播種による造林ではじめて得られるものです。単に樹木を植えることで地球温暖化の抑止に寄与するだけでなく、災害国日本では出来るだけ防災をも視野に入れた複眼的視点で造林に取り組んで欲しいものです。森林は表2に総括したように実に多くの役割を担っていますが、現代に生きる人類は子孫のために出来るだけ広大で豊かな森林を遺し、伝える責務があることを自覚すべきでしょう。それこそが21世紀は森林の世紀と云われる所以です。 (完)
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