森の世紀が始まりました (第30回)
── 命を支えるダイナモ (9) ──
日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授 江刺洋司
植物の命を支える生体ダイナモは、動物とは違って有機物を作り続けることで回る以外に方法はありませんでした(第26回)。植物が作る有機物となると頂端分裂組織や形成層(第16回、図7)での細胞分裂とその後の細胞生長(脂質、核酸やタンパク質などの生合成)、そしてそれを強固にするための細胞壁(セルローズを代表とする多糖類やリグニンなど)を日夜を問わず作り続けることでした。これらの作業を司る機能的な物質(酵素、補酵素など)の生産の出発点はアミノ酸であり、それらは炭素骨格に無機の窒素元素をアミノ基として結び付けることで始まりました(第28回、図18)。ところで、植物の生育の有り様を決めていたのは根系でしたが(第16回)、光と無縁に成育する根系は地上部から移送されて来る糖分だけに頼ってダイナモを稼動させ、生きているのでしょうか。有機物生産を維持しない限り停止する運命にあるダイナモを地下でも動かし続けるためには、自らも炭素骨格を生産する工夫が必要です。つまり、根系は自ら暗闇の中で二酸化炭素(CO2)を還元固定せざるを得ないのですが、それは特殊なことではなく、リンゴさえ行っている植物に備わった一般的仕組みでした(第20回、図11)。そこで今回は、先ずリンゴはどのようにしてCO2を取り込んでいたのか学ぶことから始めましょう。ヒントは、光合成に際してCO2を還元したのは暗反応と言われるATPとNADPHに依存した酵素反応です。ならば地下でも、暗反応が進む条件さえ整えてやればCO2を還元固定して炭素骨格を供給出来るはずです。そこに植物が持続的に生体ダイナモを回転させ得る第一の工夫があります。
根系が体内時計と連携して行う炭素骨格供給システムをリンゴに学ぶ
これまで地中という暗闇の半閉鎖環境下での根系の生長と根圧変動が(第21回、図13)、地上部での就眠運動に対応し(第19回)、生き物に普遍的な体内時計の存在を示唆しました。その根系は森林中の地表面での高いCO2濃度(第23回、図14)環境を巧みに自らの発育に活かしていたのです。こうして森林の根系の発達に好都合な環境があったからこそ、防災に強い根系ネットワークを地層表層に育て、自然災害国日本の自然を守ることにも寄与できるのです。私達はこうした森の自然な営みにも、森が有する本質的な意義を認めるべきであり、それは樹木の根系が森の中でいかに丈夫に育つかに掛かっています。
既に第23回で述べたようにCO2は動物細胞が生きるにも不可欠で、細胞の培養には大気中のその濃度を高めることが必要と述べました。その点からすると、植物だけに備わったシステムとは言えませんが、植物がダイナモ回転に必要な全てのアミノ酸群(図17)を揃えることは、炭水化物代謝の本道、解糖系からクエン酸回路(第18回、図10と第20回、図12)をATP/ADP比で調節する程度では不可能です。その程度でもベンゼン環を有する必須アミノ酸群(第28回、図17)などを供給できますが、他のより重要なアミノ酸の形成用の炭素骨格の供給は出来ません。最重要な硫黄を含むアミノ酸群(第28回、図17)はオキサロ酢酸由来のアスパラギン酸群の一員ですが、クエン酸回路自体はオキサロ酢酸とアセチルCOAと水とがクエン酸縮合酵素によって不可逆的に作られ回転し始めるものだけに、回路中からα−ケトグルタル酸やオキサロ酢酸をアミノ酸骨格にするために引き抜くことはクエン酸回路自体を止め、生体ダイナモ自体の稼動を止める事になってしまいます。それを避けて各種機能的アミノ酸群の形成のための炭素骨格供給を担うことになるのが、図20に示したリンゴも行なっていた炭水化物代謝のバイパスです。図10中の解糖系の最後に来るホスホエノールピルビン酸(PEP)にPEPカルボキシキナーゼという酵素が働いて、PEP+CO2+ADP⇔オキサロ酢酸+ATPの反応でCO2を夜間に還元固定してしまうのです。その結果、最終的にはリンゴ酸とアスパラギン酸を同時に溜め込むように働きます。その結果、オキサロ酢酸に起因するアスパラギン酸由来の含硫黄のアミノ酸形成体制を整えることも可能となります。地下の暗闇で周囲の高いCO2濃度を巧みに炭素骨格として種々の機能的高分子化合物、補酵素(ビタミン)や酵素タンパク質の形成を可能としたのです。
図20:植物における炭素骨格補充のための炭水化物代謝のバイパスと体内時計
@PEPカルボキシキナーゼ Aリンゴ酸脱水素酵素 Bリンゴ酸酵素 Cピルビン酸脱水素酵素 Dクエン酸縮合酵素(不可逆的反応) Eグルタミン酸-オキサロ酢酸アミノ基転移酵素 Fグルタミン酸-ピルビン酸アミノ基転移酵素 |
図20が示すようにそれらにアミノ基を提供しているのはクエン酸回路由来のα−ケトグルタル酸が主役となるグルタミン酸からのアミノ基の導入とその移し替えです。植物のPEPカルボキシキナーゼは動物とは違って、補酵素としてGDPではなくADPが係わりATPを生産しますが、ミトコンドリアにおける生体ダイナモの稼動を維持するためにも、原形質内でADPを処理しながら極めて重要な役割を担うアスパラギン酸(含硫黄アミノ酸やADP等の仲間プリン化合物の生産に必須)を供給し、ミトコンドリア内のクエン酸回路で大量に供給されて来るNADHをダイナモ回転に使わずに、NADHに蓄えられている電子をリンゴ酸に移し換える事で、植物の根系は夜間の間に種々の有機物生産のための素材提供だけでなく、それらを用いての実際の有機物生産条件を準備していたのです。過剰に蓄積したリンゴ酸は前段階の酵素反応をフィードバック抑制し(道路の交通渋滞を考えると分りますね)、その上に原形質内でのATP/ADP比の増大も図10中の調節酵素の作動をペントース燐酸回路稼動に好都合な条件ですので、原形質内には各種の炭素骨格供給だけでなく、豊富なATP,NADPH供給と云う有機物生産に最適な環境を生む事になったのです。この事は有機物生産を持続すること以外に生体ダイナモを回転させ得る手段の無かった植物にとってはとても大事なことです。
根系ネットワークを育てる第一の知恵
ところで、図20をもう一度見直しましょう。体内時計の夜間に対応して起こっていた反応は、地上部から移送されて来た糖分を解糖系を通じて代謝分解し、地下の暗闇でPEPカルボキシキナーゼが働いてのCO2の還元固定です(図20)。CO2は最終的にはリンゴ酸として蓄えられる一方で、途中からオキサロ酢酸はアミノ酸に姿を変えて行きます。この間の反応はクエン酸回路とは違って一見逆流となりますが、このことは言い換えればリンゴ酸は、夜間にも稼動し続けるミトコンドリアから発生するNADHを生体ダイナモの稼動だけでは消費し切れずに余るNADHなる電子を蓄える貯蔵庫の役割を果たしていたのです。実際にはCO2固定は原形質内で進行する反応で、クエン酸回路が逆流している訳ではありませんが、この時期にはクエン酸回路への有機酸供給が減りますので、酸素が存在しても酸素呼吸でATPを大量に生産する必要も低下し、夜間には地上部があまり求めない水分をATPを大量に消費して大地から強引に集めて地上部に送水する大きな根圧を必要としない時間帯だったのです。それが図13の液溢リズムの谷となって現れ、ネムノキなら膨圧は低下して小葉を閉じてしまいます。これが全生物に共通の体内時計の表現としての就眠運動なのです。同時に過剰に溜まったリンゴ酸がPEPカルボキシキナーゼに対しては負のフィードバックに働いてCO2の固定速度を減速させ始め、翌朝への助走が始まります。
こうして貯留されたリンゴ酸内に貯えられた電子は体内時計の一翼を担い翌朝から始まる昼間に相当する時期に暗闇の地下でも送水力を増強し、地上部が求めるだけの大量の水分を供給できることになります。それはリンゴ酸がリンゴ酸酵素に正のフィードバックに働いてピルビン酸を供給し始め、クエン酸回路の回転を促がします(図20)。やがて大量のATPの生産が始まり、大地から水分をかき集め吸収して地上部に運び上げる大きな根圧を生むことになります。こうして図13の液泌リズムの山が出現し、葉は目覚めて展開(膨圧増大)し始めます。植物葉の就眠運動は、地下に生きる根系での体内時計の本体はリンゴ酸の蓄積と消費とが係わる代謝制御だったのです。ただ、この時期には根系でもクエン酸回路の旺盛な稼動が始まるので、アミノ基導入の入り口となるα―ケトグルタル酸の補充も多少は改善されてアミノ基転移酵素も働き始め各種のアミノ酸の生合成も可能になります。それにはダイナモ稼動で始まるATP/ADP比の上昇も大いに貢献します。と同時に、リンゴ酸とピルビン酸との間を触媒する酵素、リンゴ酸酵素は補酵素としてNADPを使うので、暗闇の地下では不足するNADPHを、ペントース燐酸回路以外からも補給することにもなり、有機物生産体制の整備にも好都合で、更に生体ダイナモの回転をも支える大きな条件となります。
第19回で、さもネムノキが怠け者のように太陽が山陰に沈む前から眠ってしまう写真をお見せしましたが、想像するにマメ科であるために根に共生している根粒菌に与えるに充分な糖分を光合成で蓄え終えたなら、もう小葉を閉じて蒸散を中止することの方が得策だったのでしょう。葉を開いておくには、根圧維持にATPを消費せねばならず、地下部の発達に移送されて来る糖分を有効に活用し得なかったに違いありません。糖分をCO2を多様な炭素骨格形成に利用するために眠りに就く方が得策だったのでしょう。その時にはリンゴ酸も溜まり始めますが、その量が増えるとCO2固定も止まり、逆にリンゴ酸自体がリンゴ酸酵素を活性化させますので、ピルビン酸―アセチルCOA―クエン酸回路の本流をバイパスからも補完することになって二重に増強することになり、多量のATPを獲得して、エネルギー依存の吸水・送水するに充分な根圧を得て、早朝から再び小葉を開いたに違いありません。皆さんの内何方か、将来ネムノキの根系内での物質の動態を生化学的に解析して、体内時計の本体を実証して欲しいものです。
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