森の世紀が始まりました (第31回)
── 命を支えるダイナモ (10) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授  江刺洋司

 植物が内在する体内時計(第19、21回)を指針に、生体ダイナモ(第24回、図15)を回転して生き続けるには、運動することでATPを消費できないので、有機物を生産し続けねばならない宿命(第27回、表1)を持ち、そのための知恵を働かせていました。その一つは、炭水化物の分解過程の本道以外に二酸化炭素(CO2)を固定するバイパスを設けて、重要な含硫黄アミノ酸の生成に欠かせないアスパラギン酸を供与すると共に、フィードバックエフェクターとして働くリンゴ酸を蓄えました(第30,図20)。つまり、リンゴ酸の貯蔵量が増えると、それは先行するCO2固定に係わる酵素反応を抑制し、他方自らをピルビン酸に変えるリンゴ酸酵素を活性化するので、朝が来るとリンゴ酸を中心に時間に応じた一種の波を生み、還元力NADPHを補完して有機物生産体制を整備するだけでなく、クエン酸回路の稼動を促してATP生産を増やし、吸水・給水力を高め、結果として根圧は高まり(図13)、地上部では就眠運動(写真22,23)から目覚め葉を開き始めました。
  他方この過程で、生命体の基本的構成要素である19種のアミノ酸から成るタンパク質形成に必要な各種のアミノ酸グループを作るための炭素骨格を揃えることが出来て、生体ダイナモが回転する条件が整いました(第28、29,30回)。この仕組みを巧みに取り入れて日中には気孔を閉じたまま光を利用し、夜になって気孔を開いてCO2を吸収して生存しているのが、先に紹介した亜熱帯のサバンナや温帯でも何時も水の供給の不安定な岩場などに生きるベンケイソウ属に代表される多肉植物です。だからといって、光合成反応そのものは光化学反応で始まるので、真夜中であろうと強い光を照射すれば直ちに働き始め体内時計とは無縁です。

植物と動物との生き方の根本的違いはミトコンドリアの機能の違いにある
 さて、こうして緑色高等植物は各種のアミノ酸グループを用意出来て、有機物生産が可能となり生体ダイナモを回転させ得たとして、生命の営みを持続することが出来るでしょうか。他の各種のアミノ酸グループにアミノ基を提供していたのはグルタミン酸形成のための炭素骨格はα−ケトグルタル酸で、クエン酸回路(第20回、図12)自体が提供したものです。ということは、ダイナモの回転の原泉となっているクエン酸回路自体はダイナモの回転が上手く行かなくなって来ると、クエン酸回路も止まってしまうのでグルタミン酸生産用の有機酸(炭素骨格)をも生産出来ないという致命的欠陥が存在することになります。つまり、動物のミトコンドリアではクエン酸回路とダイナモが直結していても、グルタミン酸の生産が必要ならそれは食料として食べた餌中のタンパク質を分解して補えば良く、クエン酸回路の途中から炭素骨格を抜き取る必要は無いが、有機物生産が出来なければダイナモを動かせない緑色植物ではダイナモを回すことが不可能です。それは植物は動物と違った機能を有するミトコンドリアを備えていない限り生きられないということを示します。実は、植物と動物の根本的な命の営みの違いがここにあるのです。植物と動物との間には光を有機物合成に使えるか否かという違いもありましたが、むしろ両者間の本質的違いは、昼夜を問わず、地上地下を問わずに生体ダイナモを稼動させているミトコンドリア内の酸素呼吸系の違いにあるのです。

第2の知恵─植物の酸素呼吸では動物と異なるミトコンドリアの使い方
 緑色植物が生体ダイナモを稼動させ続けるには、クエン酸回路を介して水から電子を取り出してNADHに渡し続けねばならず、他方でそれは有機物生産と結び付いていなければ出来ないことで、それには各種のアミノ酸合成の入り口となるグルタミン酸の炭素骨格、クエン酸回路上のα−ケトグルタル酸の消費が不可欠です。この有機酸をグルタミン酸として取り出してはクエン酸回路自体のメンバーが欠けることになるので、クエン酸回路自体が作動せず、酸素呼吸に依存する根系や夜間の緑葉は生きることは出来ません。有機物生産のための素材を準備できても電子の供給が無くては肝心のダイナモ自体が動きません。となれば、クエン酸回路の回転を維持するための第二の工夫が必要となります。そこにこそ、動物と植物との間での生き方の生化学的レベルの本質的違いがあるのです。

図21
図21:植物に固有のもう一つの酸素呼吸(シアン耐性)系(図15への追加)

  その違いを示したのが図21図です。動物では原則として生体ダイナモと直結した酸素呼吸系だけが働いていますが、有機物生産を主としてダイナモを動かす植物には、酵母という微生物にさえも生体ダイナモと無縁に酸素呼吸をして電子を流すシアン耐性呼吸系という第二の電子伝達系を普遍的に備えているのです。この呼吸系の存在は多くの科学者によって実証されていますが、NADHの電子を単に酸素に手渡すだけでそこで具体的にどんな仕事をしているかは未だに不確かです。動物でなら一酸化炭素、硫化水素、シアンガスなどはATP生産と結び付く酸素呼吸系を止めてしまう強力な毒物で、昆虫、魚類、人間も全てがそれらを薄い濃度ででも吸おうものなら途端に死んでしまいます。しかし、植物はそれらを吸ったところで死ぬことはなく、それらの有毒ガスは寧ろ植物にとってはご馳走です。皆さんはお母さんから「未熟な果実、特に青梅の実は食べてはいけませんよ」と注意されたことがありませんか。また、お母さんはジャガイモの若芽の部分を除いてから食材としますが、それらは全てシアンガスと糖類が結び付いた配糖体を含んでいて、私達にとっては有害なのです。
  しかし、植物細胞にはそのようなシアン配糖体が含まれているのですから不思議ですね。その結果、植物はこれらのダイナモの回転を完全に止める有毒物質が存在しようとも、図21に示したような電子の流れに備わったバイパスが植物界に普遍的に存在するために死にません。シアン化合物はアミノ酸の中でも特に大事なアスパラギン酸合成に使われます。他方、バイパスの役割はアミノ基を供給するための基本的炭素骨格、α−ケトグルタル酸をクエン酸回路から抜き取る一方で、ミトコンドリア内で熱を発生してそこでの酵素反応のための微小温度環境の保持に働いているのではとも考えられていますが、科学上の残された宿題です。ただ、植物にはこの種の第二の酸素呼吸系が存在していて、昼夜、地上地下を問わず有機物を生産し続けてダイナモの回転を確約しているのです。緑色植物も、上記の有毒ガスが異常に高濃度で存在すれば、ダイナモを止めざるを得ず死んでしまいますが、低濃度ならむしろそれらを有機物生産の素材としてしまう酵素(大気中に酸素が満ちる前に存在した太古の遺物ガス)を未だに保持しているのです。その結果、動物と植物との間でのそれらの有毒ガスに対する致死量が3桁ほども違ってしまいます。
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