森の世紀が始まりました (第29回)
── 命を支えるダイナモ (8) ──
日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授 江刺洋司
前回、植物が生体ダイナモを回転させて生きるには昼も夜も、地下・地上部を問わず個体全体として有機物の生産を続ける以外に道がないこと、そのためには機能的な高分子化合物が必要で、それらはアミノ酸を原料として作られることを話しました。各種のアミノ酸(図17)は炭水化物の分解過程の中間代謝物質、各種の炭素骨格(有機酸)にグルタミン酸やグルタミンが取り込んだアミノ基を種々のアミノ基転移酵素の働きで移し替えて作られますが、無機態の窒素化合物をアミノ基にしてから有機態に変換させるには、大量の還元力、NADPH(一部はNADHで代替)とATPを提供できる葉緑体の存在が好都合でした(図18)。しかし、緑葉で形成された含有有機物は地上部での成長に使われることがあっても、それは糖分のように篩管を通じて大地内で生きる根系に運ばれることは殆どありません。したがって、根系は地上部とは別個に独自にアミノ酸を生成せねばなりません。つまり、根が窒素元素を養分として吸収し、水分と一緒に導管を通じて地上部に送り込んでも、それが有機態となって帰って来ることは期待できないということです。根系は自らが大地から吸収した窒素養分を地上部から移送されて来る炭水化合物を用いてアミノ酸に変換させねば生長出来ないのです。
大地の中で行われているアミノ酸の生産──自然界での窒素循環
自然界での大地からの無機態窒素元素の供給には多くの道筋があります。皆さんに良く知られているのは、マメ科に代表される植物の根に宿る根粒菌との共生でしょう。根粒菌は大気中から窒素ガス(N2)を吸収し、宿主が提供してくれる糖分から得られるエネルギー・還元力源を活用して、お返しに宿主にアミノ基を供給しています。しかし、N2ガスを還元するとなれば、第4回の葉緑体の場合と同様に、宿主は根粒菌を完全に酸素から遮断せねばなりません。大気中の酸素に触れるようなことがあれば、N2を還元出来ません。そこで、根の組織内に酸素ガスを遮断するための瘤を作ってその中で根粒菌に働いて貰うのです。N2という極めて安定したガス体を還元するとすれば、それこそ二酸化炭素を還元する時よりも遥かに大量のATPとNADPHが必要となり、単に酸素ガスを遮断した程度でアミノ基まで還元できることはありません。NADPH以外にも還元力を有する他の物質やモリブデン・鉄・硫黄を含むニトロゲナーゼという特殊な酵素を介在させて、複雑な過程を経てN2をアミノ基まで還元するのです。森林の中にも多くのマメ科の樹木(以前に出演したネムノキやフジ、エニシダ、ニセアカシアなど)があり、貧栄養の痩せ地にも森を作る先発隊となっています。また、農業でも痩せ地に肥料の代わりに、マメ科の草本植物(クローバーなど)を植えて大気中の窒素ガスを取り込み、農地の肥沃化に活用されています。ただ、同様な共生はグミ科の樹種(アキグミなど)や草本植物にも見られ、マメ科に限られた働きではなく、窒素循環として知られています(図19)。
図19:森林における窒素循環系と有機肥料としての窒素循環(地球上では、O3が関与し修正必要) |
ところで、森林の発達に欠かせない窒素成分の獲得には、大気中のN2を根粒菌のような共生型の窒素固定細菌だけでなく、菌根菌、放線菌などのカビの仲間も樹木の根系と係わって森を育てています。しかし、他の非共生型の細菌群も重要な貢献をしていることを認めねばなりません。その中には酸素が存在していても働くアゾトバクテリアもいれば、酸素がない土壌中でだけ働くクロストリジウムもいます。共に、落ち葉をも栄養源として利用しますが、根系が分泌する有機物をも栄養源として、大気中のN2をアミノ基にして供給し森林を育んでいるのです(図19)。
農業は大地からの元素収奪産業であり、有機農業とはその循環への挑戦
ただ、農業は大地に含まれる各種元素を食料に変えて大地から収奪する産業ですから、大地から収奪した分を補なうことで持続できる産業と言い換えることができるでしょう。となれば、自然界での窒素循環に頼っているだけでは作物を大きく速く育てることは出来ないので、特に重要な窒素養分は化成肥料なり有機肥料として適度に補充せねばなりません。このNPO活動でも、植物を育てるには何等かの方法で植えた植物の求めに応えているはずです。最も安易な方法は、根系が使い易い硝酸イオン(NO3-)か、種によってはアンモニアイオンの形の化成肥料を直接与えることになります。この過程は図19に見るような自然界での窒素循環を短絡させ速効的な効果を期待しての作業となります。後者は根の細胞内に入って直ぐアミノ基に移行しますが、水生植物のイネのような特殊な植物では好まれますが、多くの植物はNO3-の方を好みます。イネも成長するにつれてむしろNO3-を好むようになります。その理由はNO3-は分子内に酸素を含むので、酸素そのものと同様にクエン酸回路で生じるNADHの受け皿になり、亜硝酸NOに還元し硝酸呼吸とも言われます。つまり、根は本来地下という酸素に乏しい環境下で生活せざるを得ないので、酸素呼吸を硝酸呼吸が補填してくれることはとても好都合なのです。ですから、大部分の植物はNO3-の形で肥料として与えられることを好み、有機肥料も完熟させて窒素成分を硝酸態にまで酸化することが望ましいのです(図19)。前回、図18で学んだように葉緑体は大量のNADPHとATPを提供することで無機態の窒素をアミノ基にまで還元出来たのですから、地下でも両者を充分に提供できさえすればNO3-はアミノ基に還元され、次にグルタミン酸やグルタミンに導入されて、必要な種々のアミノ酸群にアミノ基を転移して行けることになります。
となると、根系が有機物を作り続ける条件とは、高いATP/ADP比を常時維持して、地上部から移送される糖分を解糖系からクエン酸回路へという本筋以外にペントースリン酸回路(図10)をも常時稼動させ得る状況を用意することになります。第22回で述べたように地上部の成長は地下部の生長によって支配されるので、かつて野沢氏が「トマトを樹木にまで育てたいのですが」と訪れた時に、私が理論的に可能でしょうと答えた根拠は、葉緑体が生産するほど多量のATPとNADPHを光と無縁な根系で作らせれば良いだけで、それには地上部から移送されて来る炭水化物を二酸化炭素として排出させずに炭素骨格として細胞内で再利用させて根系の生長に活用させることでした。第20回で、リンゴさえ呼吸で排出した二酸化炭素を再利用したのですから、根が出来ないはずはありません。事実、根が暗闇で二酸化炭素を固定していることは実証されており、第23回の図14で学んだように、それに都合良く自然の森でも地表層に這い回る根系が二酸化炭素を再利用出来る様に、地表や地層表層の大氣中の二酸化炭素濃度は極めて高くなっています。トマトを樹木に変身させるには酸素呼吸で排出する二酸化炭素が細胞内に留まる内に炭素骨格形成として再利用させることです。幸い、根系での体内時計は溢泌リズム(図13)から分かるように、夜間には違った働きをしています。このリズムに同調しての有機物生産にこそ植物におけるダイナモ稼動の知恵がありそうです。
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