森の世紀が始まりました (第27回)
── 命を支えるダイナモ (6) ──
日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授 江刺洋司
いよいよ命の根幹を成している「生体ダイナモ」の働き方に話を進めましょう。これまでの話で、ダイナモ自体には動植物間に全く違いがないことは、第24回の図15に示された全体像から分ったことでしょう。その際に、植物と動物との生き方の基本的な違いは、この生体ダイナモの働き方にあるとも述べました。全ての動物は食物を摂り、子孫を遺す相棒を探すために運動能力を備え、そのために筋肉を働かせているのがダイナモでした。また、哺乳動物ともなると体温を保持するために、食べた有機物(肉食動物でも、タンパク質や脂質を加水分解して最終的には第20回、図12や図15のミトコンドリアの代謝過程に入り込みダイナモを稼動させます)を基にして生体ダイナモを回転させて体温を維持します。したがって、動物ではこのダイナモを回転させるのに植物ほど苦労しません。ただ、ダイナモを何時も高速で回転させることは望ましくないので、体内時計(第19回)が働いて回転数を減らし眠りを誘います。動物達がその休息期間にしている仕事が実は植物では主役になるのです。
草食哺乳動物における「生体ダイナモ」は主として運動と体温保持に働いた
そこで、表1に動植物に共通で回転する生体ダイナモの仕事の違いを草食哺乳動物と広葉木本植物を例にあげて比較してみましょう。ただ、ここでの比較は、前回述べた植物に当てはめれば栄養生長段階、動物に当てはめれば大人になって異性を求めるまでの幼年・少年期に限って行ないたいと思います。皆さんが具体的に頭に描きながら理解するには、草食哺乳動物なら樹木の葉を餌とするキリンや象を、緑色高等植物なら日本を代表する国の花サクラでも、一年草でありながら樹木に化かすことが実証できるトマトを選んでも良さそうです。ミトコンドリアを舞台に水から取り出した電子を酸素呼吸でATPに充電して生体ダイナモが稼動し始めることになりますが、そこではATP中の高エネルギー燐酸(〜Pi)を放電してADPに戻すことで仕事をしたのです。放電とはATP中の(〜Pi)に保存されたエネルギーを何らかの仕事に使うことですが、動物なら昼間は専ら摂食活動、体温保持とそれを制御する神経機能の働きに80%強も放電されると想定されますが、放電してしまうと簡単にADPに戻ります。夜は就眠するので酸素呼吸量も減ってATPの生産も低下し、動いているのは心臓とか体内の限られた臓器に限られますが、それこそが体内時計に対応した代謝能の変化で表1から分るように昼と夜とでは使われ方は大きく違って来ます。この時間帯に動物は休養を取り成長という有機物生産を優先することになります。寝る子は良く育つとの諺がある通りです。
緑色高等植物における「生体ダイナモ」はいつも有機物生産に働いた
では、運動とも発熱とも無縁な植物はどのようにして生体ダイナモを回転させて生きているのでしょうか。植物は表1に見るように昼夜を問わず、有機物の生産、つまり細胞を分裂させ、それを生長させるためにATPから放電せねばなりません。恐らく夜が来て気温も下がり始めると、代謝速度も低下し始めてミトコンドリアの機能も下がってATPの供給量も少なくなりますが、それでもダイナモを回転させて生き続けます。その時でさえ90%近くのATPは有機物生産で消費して放電しているのです。勿論、昼間には地上部が求めるだけの養分を含んだ水分を乾燥気味の大地から強制的に吸い上げて送らねばならないので、相当量のATPが必要となることは、図13(第21回)の溢泌の周期的リズムについての説明で理解出来ていると思います。しかし、有機物の生産となると、そのための素材が揃っていないことにはどうにもなりません。(〜Pi)が生産に必要な素材を運ぼうとしても、肝心の素材がないのでは働きようがないし、また、それらを組み立てるための接着剤に似た働きをする還元力も供与されなければ、有機物を生産(生長)することは出来ません。このことは、既に第5回目での光合成に関する話で理解していたはずです。幸い、光合成の場合には葉緑体に水さえ供給されれば、それから電子を取り出してATP・NADPHの両者を同時に作り出し、素材は根系から送り込まれる各種栄養元素以外に、大気中に含まれる二酸化炭素や窒素や硫黄の酸化物でした。それらを還元するからこそ、街路樹は大気浄化作用の働きで都会の汚れた空気を掃除してくれたのです。となると、動物でも就眠する時間帯での休養や有機物の生産増も、ATP以外にNADPHを供与するシステムの作動の高まりを伴うことが必要で、それを調節しているのが体内時計(第19回)ということになりそうです。勿論、夜行性動物であれば調節系の働き方も逆転することになります。
大型草食哺乳動物に限らず広葉木本植物も夜間にも還元力の供給力が大事です
となると、ATPを供給するのにミトコンドリアという装置しか持たない動物群では、NADPHの創出は、第18回の図10に示されたペントース燐酸回路の作動に頼らざるを得ないでしょう。この場合には、解糖系でフラクトース6Pとフラクトース1.6P間の反応に介在する調節酵素の働きを制御することになります。この調節酵素の活性はATP/ADPの比率で決まります。ATP量が増え過ぎると活性は低下し、逆に不足すると解糖系は順調に進みます。動物が就眠に入ると運動しなので、必然的にATPからの放電量は低下してATP/ADP比は増大し始めます。となると、調節酵素活性は次第に下がり、グルコース6Pの一部はペントース燐酸回路にも入り込むようになり、結果として有機物生産に適したATPとNADPHのバランスが取れ、同時に種々の補酵素や核酸の生合成の骨格となるリボース5Pをも提供できることになります。こうして動物は就眠で英気を養いながら、成長することになります。
全く同じ機構は植物の緑葉では日中なら光合成がしてくれるとしても、緑葉でも夜間には、地下の根系では常時、動物と似たような仕組みが働いています。つまり、動物の場合には、有機物生産のための全ての素材は餌として食べた食料を低分子にまで分解して揃えることが出来ますが、植物も日中に緑葉が光合成で蓄えた有機物を分解してある程度は賄えても、緑葉も夜間には、また暗闇に生きる根系も有機物生産を続けるには大気や土中に存在する二酸化炭素や炭酸イオンをも用いて有機物を作らざるを得ないのです。更に有機物生産に必要な栄養素である三大元素、窒素、リン、加里に加えてカルシウム、マグネシウム、鉄、硫黄を含む各種のミネラル全てを自ら大地から吸収して集めねばなりません。動物でも不足するミネラルがあれば、泥水を吸い込んだり、土を舐めたりして補うことは良く知られたことですが、植物においては地上・地下の区別なく有機物生産に必要な大部分の元素を大地から大量に摂取せざるを得ないのです。前述の第18回、図10におけるリグニン合成にせよ、サツマイモの塊根に澱粉を蓄えるにせよ、先ずは細胞分裂を起こし、それに引き続く細胞生長が先行して行われることなので、動物での有機物生産は摂取した餌を分解して必要な素材の全てを賄うので安易なことですが、植物での有機物生産は元素から作り上げることなのでそれほど簡単ではないのです。したがって、植物に備わった生体ダイナモを回転させるには、動物の生体ダイナモを回転させるほど容易ではありません。植物ではちょっと違った付属装置が必要となりますが、さてそれはどんなものでしょうか。次回以降の楽しみにしましょう。
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