森の世紀が始まりました (第18回)
── 植物も動物も眠ります ( 4  ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授 江刺洋司

 トマトを樹木にするには、茎や根の形成層を休み無く働かせることでした。それには、盆栽のように根の生長を抑えるような物理的空間の制限は禁物で、先ず、地上部も地下部をも無制限に広げる空間が必要であり、その空間一杯に広がるように茎の形成層を働かせて細胞分裂を繰り返させて維管束の木質化を促し柔細胞組織を太く頑強な組織に仕上げる事が地下の根系と地上の樹冠部の均衡ある成長のための必須条件でした(第16回)。木質化とはリグニンの形成でセルロース(主食となる澱粉とは違った結合法でグルコースが結び付いた炭水化物)いう繊維の末端にフェノール類の物質を結合した丈夫な高分子化合物(前回、図8)です。また図9では、地球温暖化阻止に最大の貢献を為しているのは樹木で、それらの集団である森の緑が光合成を営む時期には大気中の二酸化炭素濃度が大きく減少し、それは幹の材に溜め込まれることでした。つまり、地上の森の面積を増やすだけでも、人間の営みが放出する二酸化炭素の全てを、更には今まで増やしてしまった二酸化炭素さえも減少に転じさせ得る可能性を示唆しました。とすれば、二酸化炭素を溜め込むリグニンがどのような過程で作られるのか知ることは極めて重要ですね。

高分子化合物の形成には還元力が必要ですが、地下では光が無くとも作らねばなりません

 植物の根系は地下で地上部から転送されて来る光合成産物に依存して生長することになりますが、地下部と地上部を結んで物のやり取りをする組織は前に述べた維管束系で、その束の中にはそれぞれ役割を異にした繊維状の細胞が連なっており、地下から地上に養分を含んだ水分を運ぶ通路(導管)と逆に地上から地下に先の光合成産物を運搬する通路(篩管)があり、相互に助け合って植物個体の生育を支えていることを第16回図7で学びました。また、地上部の成長を支えるエルギーATPも還元力NADPHも日中には太陽光による水の分解(明反応)が支えていました(第5回図3参照)。

夜と地下で還元力NADPHを供給するのはペントース燐酸回路

 植物も太陽が沈むと葉緑体に依存してATPもNADPHも作れず、光と無縁な地下の根系と同様に日中に生産した光合成産物を活用する事になりますが、根系組織が生長するには常時夜の地上部と同じ仕組みでATPもNADDPHも作らねばなりません。根系が発達しないことには地上部が要求する大量の水分も無機栄養分も賄うことができませんので、茎の篩管を通って地上部から運ばれた炭水化物を使って、ATPは酸素呼吸(第14回図6参照)で賄いますが、暗闇の中でのNADPHの供給は別個に確保せねばなりません。その点では、根系の生き方は草食動物の成育と同じことになりそうですね。これらの動物は植物を食べれば植物が生産したATPとNADPHを直接利用出来ますが、そんな僅かの量を取得したところでは自らの命を育み成長させることも子孫を遺すことも出来ません。草食動物も根系同様に生きざるを得ないのです。根では葉が光合成で生産し、篩管を通じて供給してくれる糖分を用いて生長しますが、先ずは解糖系を通じてピルビン酸を形成し、ミトコンドリア内に取り込んでクエン酸回路で酸素呼吸をして多量のATPの生産を行ないます(図10)。人間はデンプンをアミラーゼで加水分解して利用しますが、草食動物は人間が使えないセルローズを加水分解するセルラーゼでグルコースに戻してクエン酸回路を動かします。

図10

 ATP→ADP+Piの反応過程で種々の仕事をするための高いエネルギーが供給されますが、それにはPi(無機燐酸)とADPの補給が確保されねばなりません。根では大地から直接養分としてPiを吸収できるので、鍵を握るのはADPの供給となるでしょう。

私たちには必須アミノ酸があり、それらは食品から摂取せねばならない

 ADPの供給には二つの方法があります。その一は、ATPが保有するエネルギーを何等かの仕事に消費してPiを外してADPに戻すことです。この過程は極めて重要な意義を有するのでエネルギーダイナモとして後に詳しく紹介にします。もう一つは、直接ADP分子自体を作ることです。このADP生産はそもそもはクエン酸回路上の有機酸にアンモニア(NH3)を結び付けて生産する種々のアミノ酸をATPを用いながら重合して作りますが、この過程は核酸、RNAやDNAの構成要素を作る反応過程と同じで、酸素呼吸によって生産されるATP量が大きく係わっています。ということは、根系の生長に関わる細胞分裂に必要な各種の核酸を作るにも余分なATPの蓄積と同時に、それらの核となるリボースー5Pという糖の補給がなければなりません。
  また、分裂した根の細胞が木質化するには、リグニン合成に必要なベンゼン環の合成にNADPHが不可欠です。植物は地上部から送られて来る糖分を用いて必要な素材と条件とを同時に生産し整備せねばなりませんが、それを満足させるもう一つの糖の流れにペントースリン酸回路(図10)があります。その稼動率を調節しているのは、ATPとADPとの原形質内での割合で、解糖系の中間物質であるフラクトース-6Pからフラクトースー1,6Pへと触媒する酵素がそれに反応してグルコースの流れを調節しており調節酵素と云われます。私達が自動車で渋滞に巻き込まれた時に、脇道を案内してくれる役割を果たしていると考えて下さい。この調節酵素の活性は原形質内のATPの相対的レベルが高くなると、低下し始めてその前段階のグルコース6Pを各種核酸の生産の核になるリボースー5Pやベンゼン環の素材となるキシロースー5Pだけでなく、同時に2個のNADPHを供給するペントース燐酸回路に振り向けるようになります。リグニンの生産に必要なベンゼン環はこうして供給されるキシロースー5燐酸と解糖系の中間体であるホスフォエノールピルビン酸とが合体して生産されますが、その際にATP以外に2分子のNADPHを必要とします。地上部の木質化では、これらの糖類、ATP、NADPH全てが光合成によって供給されますが、暗闇の地下ではペントース燐酸回路が代役を果たしています。草食動物に限らず全ての動物でも、夜の植物でも同じです。

畜産業はペントース燐酸回路を上手く利用する産業

 このペントース燐酸回路は動物にとっても欠かせない極めて重要な回路で、リボース5PやNADPHを供給する経路です。しかし、人間を含む多くの動物はこの回路を持っていても、ベンゼン環の形成に関わる酵素の一部を持っていませんので、ベンゼン環を有するアミノ酸を体内では作れません。ですから、食物連鎖の最頂点に位置する人間にしてもそれらは必須アミノ酸と言われていて、他の食品から摂取せねばなりません。この回路は私達の健康に大きく係わるだけでなく、畜産業はまさにこの回路を活用する産業と言えるでしょう。ミルク生産もそうですが、霜降りの高級肉牛を生産するとすれば、あまり運動させずにATPの余分な消費を避け、更にこの回路を作動させるために牧草だけでなく、骨紛(含むPi)やトウモロコシを多量に食べさせます。その結果多量のATPが余るようになってNADPH生産に振り向けて蓄えて一緒になって脂質を生産することになるのです。基本的には人間にしても、私もそうですが運動せずに食欲を謳歌する食生活を続ければ、この回路の働きで中性脂肪が増え、お腹の出た格好の悪い姿になってしまいます。
  今回は最後に少し植物とは無関係の余談を話しましたが、基本的には全ての生き物が同じ生き方をしていることを理解して欲しいのです。植物が油を作る道筋も基本的には同じです。ただ、多量にATPとNADPHを供与できる条件下で、それぞれの生き物が種々の素材を何の生産に向けるか決めてるのは、種に固有なDNAに秘められた遺伝情報です。植物は運動能力を持ちませんのでATP量を運動で調節する事は出来ませんが、次回からは植物がこのような基本的代謝系を変動する自然環境を巧みに活かして調節し生きている様を話しましょう。

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