森の世紀が始まりました (第15回)
── 植物も動物も眠ります (1) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授  江刺洋司

 緑色植物は水と太陽光に恵まれれば、それを活用してより豊かな命の営みをできます(第4回を復習)が、夜ともなれば植物も動物も全く同じ原理に基づいて生きていることを話して来ました。勿論、光と無縁に生きている植物の根系は日中でも動物と同じ生き方をしています(第9回を復習)。藻類が水を分解して大気中に酸素を放出するようになってから、動物群が進化を遂げ地上でも行動するようになった(第10回を復習)のですが、進化した動植物に共通な生き方は、緑色植物が光合成をするのに邪魔になる水の分解産物である酸素を細胞から積極的に除く方法(単に気孔を通じて体外に放出する以外に、専門的なことになるので紹介しておりませんが、ペルオキシゾームなどという細胞内器官をも誕生させる)の一つとして最初に活躍したミトコンドリアを活用すること(第13回を復習)でした。植物が夜間も生きる手段とした知恵を動物達も手にしたのです。そのことにより、オゾン層発達で有害な紫外線から解放され、大気に酸素が満ちた地上で動物達が生きることが出来る時代がやって来ました(第10回。図4)。

夜間の植物、地下の根茎、動物達の生きる仕組み  
 ところで、動物達が生命活動に不可欠なATPを植物細胞の中のミトコンドリアを活用することで取得できるようになっても、エネルギーだけでは自らの個体を成長させ得ません。自らが生きることを個体発生と言い、子孫を遺すための生き方、系統発生と区別していますが、どちらにしてもATPだけの生産で果たせるものではありません。植物が個体発生をなし得たのは、前述したように水の光化学的分解に際して同量のATPとNADPHを生産できたからに他なりません。
  とすれば、次の問題は植物は夜間に、その根系は地下の暗闇で、光を活用し得ない動物達はどのようにしてNADPHに代表される還元力を創出しているのかということになります。生命体に共通な生きる仕組みである以上、NADPHの供給にも普遍的な道筋があるに違いありません。



つくば科学万博での木になるトマトが語るもの
  「中近東の人々に新鮮な野菜を食べさせてあげたい」

 今から20年ほど前に、つくば科学万博(Expo85)が開催されました。皆さんのご両親の中には実際に見学に行かれた方がおられると思います。行かれた方は、きっと一年草(冬になると枯れてしまう草本植物)であるトマトが樹木に育って1万個もの真っ赤なトマトの果実をぶら下げている光景に圧倒されたのではないでしょうか。当時、ある会社の社長さんであった野沢重雄さんが、私の研究室を訪ねて、「日本人は中近東の人々から石油を輸入させて貰って生きていますが、彼らは淡水に恵まれないために新鮮な野菜を食べられずに過ごしています。私としては恩返しに何とか野菜工場の様なものを作ってあげて、何時も新鮮な野菜を食べられるようにして上げたいと思っていたのですが、Expo85の事務局にそのような提案をしたら、是非具体化して下さい、政府も協力しますと言われましたが、実は提案したものの自信が持てないのです。助けて下さいませんか」と言われました。


何千年も生き続ける巨木、寿命のある動物・・・
                生きる原理は同じなのに何故?
 
私は、彼の想いに共感する一方、私の頭の中にはかねての疑問を解く機会に思えました。それは、基本的には植物も動物も同じ仕組みで生きているのに、なぜ動物の細胞には寿命があり何千回か細胞分裂をすると死んでしまうのに、植物の中には頂端分裂組織があって何千年と数え切れない回数の細胞分裂をし続け、各地に種々の巨木が存在するのだろうかということです。有名な屋久島の縄文杉に限らず、世界の各地に何千年と寿命を重ねる巨木の森が存在します。どうして、植物の細胞だけが何時果てるでもなく、無限に分裂し続けて成長できるのか、動物との間にどのような違いがあるのか、皆さんも興味を持つのではないでしょうか。私にすれば、常に植物も動物も生きる原理が同じであり、より多くの優れた子孫を遺そうと生涯を送る命の営みを考えた時に、大学の研究室や予算ではとても挑戦することが出来ない、かねての疑問に取り組むための絶好の機会をExpo85は与えてくれるように思えました。


一年草のトマトを樹木に育て上げる
 少なくとも自然界には何時死ぬとも分らぬままに生き続ける各種の樹木が存在する以上、自然界では一年草として生涯が決まっているように思われているトマトという草本植物も、何等かの条件を与えるならば樹木のように何年間も生きる植物に変身させ得るに違いないと思われたのです。なぜならば、多くの種苗会社の人達は、そのような科学的疑問とは無縁に、木本植物も幾つかの草本植物も毎年のように挿し木や挿し芽でそれぞれの企業が自慢とする植物を何十年間も増やし続けているのです。現在、このように全く同じ遺伝子からなる生き物はクローンと呼ばれ、哺乳動物でもそれができることが話題になっていますが、植物では江戸時代の昔から誰も疑問を持つこともなく続けられて来た植物の繁殖方法が挿し木や挿し芽でした。その上、草本植物には多年草があり、地上部は枯れても何千年と同じ遺伝子を伝える多くのものが存在します。
  そんな事柄も理由になって、私は野沢さんの不安を吹き飛ばし、協力するので是非挑戦して、市民に大木に成長したトマトを見せて上げて下さいと励まし、海外からトマト栽培に最適な環境調査をした論文を取り寄せて、彼に送り成功を祈りました。私の中には必ず成功するとの確信に近いものがありました。それは植物が個体として生きるとはどんな事なのかについて私なりの理論が存在し、彼がそれを実行してくれれば一年草を多年草どころか木本植物に変化させ得ることがほぼ見通せていたからです。私の助言は実り、やがて「木になるトマト」はつくば科学万博の目玉となりました(写真19)。彼の挑戦の成功は、命の営みの仕組みについての私の考えを実証してくれたのです。
木になるトマト

写真19:「木になるトマト」
広範に広がった枝にたわわに実るトマト。
※この写真は万博終了後、別の場所で撮影したものです。
(写真撮影:江刺洋司)


 次回は、そこから得た知見を基に生きるとは何かを語り続けることにしましょう。
 最後にお知らせしておかねばならないことは、野沢さんの熱い想いは、コンピューターに依存した技術であったがために、関係者が帰国して間もなく機能を失ってしまったそうです。残念なことですね。

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