森の世紀が始まりました (第9回)
── どうして水は命の源なの (6) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授 江刺洋司

これまで、地球上での生態系の駆動の源となっている植物の多様な生き方は、太陽光を用いる仕組みを工夫する知恵の反映であることを話してきましたが、本論であるどうして全ての生き物の命を支える源が水であるのか話すことにしましょう。太陽系の老化がやがて地球に及んで来た時に、各民族から選ばれた人類代表を太陽系に遺すには水がありそうな惑星は火星しかなく、その探査と、もし水があればどうしたら生きることが出来るか探るために火星学会が作られています。幸い火星に水が存在することが確認されて、人類の遠い未来の転居先がはっきりしたことは嬉しいことです。

植物も動物も同じ生き物で、同じ食べ物で生きてます

これまで、植物が太陽が照っている昼間の出来事だけを話して来ましたが、日没後の夜にはどのようにして生きているのか考えてみたことがありますか。私達人間の中にもベジタリアンと言って食材として植物由来のもの以外は一切食べずに生活している人々が沢山います。つまり、魚も肉も一切食べなくとも、健康に生きて行けるということですが、多くの昆虫以外にも沢山の草食動物が実際そのようにして生きており、その中には牛や象など草以外のものを食べないのに大きな体をしたものもいます。そうすると、植物が夜間には日中に光合成で体内に溜め込んだ有機物を利用して生きている点では、それらを餌として生きている動物達との間には全く違いがないと考えて良いことになります。つまり、魚を食べることも肉を食べることも、私達が生きるということには本質的な意味がないことです。先ずこのことを皆さんはしっかり確認しておいて下さい。植物にも食虫植物などがあり、虫から不足する栄養素を摂取できなかったからと言って、生きられないわけではありません。それらの食虫植物にせよ、私達にせよ肉食すれば、より窒素とか燐(りん)とか成長に必要な栄養素を豊富に摂取できて、大きく育つのに都合が良いに過ぎません。

復習しよう!第5回、ATPは動力源、NADPHは接着剤の役割を担っている

そこで、思い起こして欲しいのは図3 (第5回参照) に示したことです。植物が有機物を作るという仕事は、単細胞の細菌や藻類なら細胞分裂で増殖することであり、多細胞の植物ならば同じく細胞分裂してもばらばらにならずに自らの体を大きくする、つまり成長することと同じことでしたが、それに必要であったのはATPと NADPHの供給でした。光合成細菌も藻類も緑色植物も、それらの仕事をするために太陽光を使って単にATPとNADPHのような還元力を生産することだけでした。草食動物も夜間の植物も全く同じに太陽光が供給してくれたATPとNADPHの助けによって作られた有機物を利用して、再びATPとNADPHとを作り出して命を支えていることになります。そのためには、全ての生き物に水が欠かせませんので、命の源は水となるのです。

生命は太陽光とは無縁な深海の暗闇でも躍動しています

写真14:海底火口に出来た硫黄の柱に群がるオハラエビとイソギンチャクやチムニー。
(写真提供:独立行政法人海洋研究開発機構
           (JAMSTEC) )
写真15:海底火口付近に生息するシロウリガイ
(写真提供:独立行政法人海洋研究開発機構
           (JAMSTEC) )

ところで、光のエネルギーを用いてATPとNADPHを供給するには、電子(e・H+)の供与体は硫化水素(H2S)や水(H2O)でしたが、電子を供給するには光が絶対的に必要ではありません。例えば、化学合成独立栄養細菌と言われるものでは、光化学反応で電子を取り出すのではなく、暗所でも起こり得る種々の無機物質(H2S,水素ガス自体(H2),アンモニアイオン(NH4+)や還元型鉄イオン(Fe2+)などの酸化反応に便乗して電子を得ているだけです。しかも、そのような生き方をするのは小さな細菌に限りません。例えば、深海潜水艇が太平洋の太陽光が全く届かない暗闇の深海の海底火山の熱水噴出孔付近で、硫黄が堆積している一方でエビ(写真14)、二枚貝(写真15)などという比較的高等な動物群がたむろしている映像をテレビで見せてくれています。ここで重要なことは、この深海にあるのは、H2O、熱水噴出孔から排出される大量のH2Sと二酸化炭素ですが、光合成細菌がH2Sから電子を取り出して、ATP・NADPHなどの還元物質を作り出した時のように、硫黄はその酸化産物として周囲に堆積しています。

光の役割を担う海底の秘密

ところで、図3でATPやそれから派生した還元力は二酸化炭素を還元して有機物、つまり自分の子孫の増殖を図っていると述べました。問題は、深海には太陽光が届きませんから、どのようにしてH2Sから電子を切り離したのか、大きな動物を育むだけの大量のATPやNADPHを供給できたのかという疑問でしょう。先ず、後者の疑問は限られた場で大量の濃厚なH2Sが放出されてますから、1分子のH2Sから得られる電子は僅かでも、塵も積もれば山となることで、電子の絶対量は確保できそうです。でも太陽光も酸素もないのにどうしてH2Sが酸化されたのかという疑問が沸くでしょう。太陽の長波長は熱線でしたが、火山の噴気孔から常時莫大な熱線が放出されています。H2SはH2Oとは違って、酸素に触れただけで電子を放り投げてしまうほど小さな力で互いに結合した分子でした。ですから、地表では電子の受け手、酸素さえあれば自然に酸化されましたし、ここではその受け手さえあれば加熱だけで電子を離してしまいます。現在、化石燃料の枯渇を目前にして、多くの科学者が人類の明日のために、水からも加熱だけで電子を取り出すための触媒(酵素のように働く)の探査に必死になっています。H2Oでは酸素と水素が強い力で結び合っていますので、両者を加熱だけでは簡単に切り離せません。誰かその方法を見出したなら、近い将来に来る水素社会の実現に大きく貢献するのですから、ノーベル賞を一度に二三個与えても良いほどです。それこそ人類の未来に光明を灯す研究成果です。深海でもH2S由来の電子からATPとそれ由来の還元力が用意され、それらの受け手さえあれば、そこに生命の営みが始まるという原理は地上と同じです。幸い、電子の主要な受容体として、噴気孔から二酸化炭素(CO2)などの酸化状態の無機分子や元素が放出されているようです。とすれば、深海でも地上と同じ生命の営みがあり、有機物の生産が暗闇の世界で繰り広げられても不思議なことではありません。生命とは基本的には電子の放出(酸化)とその受け手(還元)があることが最も重要な原理となった営みです。ただ、この海底での命もH2Oが存在して営まれていることです。           

写真提供
独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)
※今回のエッセイの趣旨に同意してくださり、快く写真のご提供をしていただきました。
  それ以上の協力関係はございません。