森の世紀が始まりました (第10
回)
── どうして水は命の源なの (7) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授  江刺洋司



生物が大気中で増え続ける酸素の濃度に対応して進化し(図4)、現代の動植物を生み、生態系が出来あがりましたが、その駆動力は太陽エネルギーでした。しかし、植物も太陽の無い夜には動物と全く同じ仕組みで生き、他方、深海には生涯を通じて光を知ることも無く生きる二枚貝や甲殻類の命の営みもありました。それらの形態が太陽の届く海辺に棲むものと全く同じに見えることからすると、過去に地殻変動に遭遇した時にすばやく逃げることが出来ずに、たまたま電子の供与体と受容体という命を保つ条件に恵まれた海底火山付近に取り残された偶然が彼らに暗黒の世界で命を支える知恵を授けたに違いありません。深海の自然は、逆に太陽そのものは生命には不可欠な存在でないことを明らかにすることになりました。地球上での生命が海の中で誕生したのにも、きっと、深海のマグマのような熱の存在が係わったことでしょう。
これらのことから、生命の本質を探ろうとするならば、太陽とは無縁な夜における生き物の生き方を学ぶことが大事ですよと教えてくれているような気がします。太陽は大気中に酸素が豊富に含まれるようになったことから生じた多くの生き物達に、生きるためのより豊かな電子を得る手段を与えただけで、それこそが進化の最大の収穫だったと言えそうです。

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生き物はまず海水中で膜で囲われることで誕生しました。

生き物にとって危険な紫外線に満ちた地球
生命は水あるいは海水の中でこの世に誕生しました。図4から分かるようにその当時は大気中にはまだ酸素分子は現在の1万分の1しかなく、大気中にオゾン層もなかったことから、地上は有害な紫外線Cに満ち、生き物達が水中から顔を出すことさえ出来ない世界でした。

水のもつ2つの性質が細胞を進化させた
ただ、水はいろいろなイオン化する無機元素や分子を溶け込ますことの出来る溶液でしたが、一方では、分子と結び付く性質を有し、分子を安定化させる結晶水ともなります。後者の水は疎水的性質で構造維持に欠かせない生体膜の形成に係わり、前者の水の性質はその膜で包まれた内部での連続層(液層原形質)の形成に預かることになり、水が生命の最少単位である細胞の誕生に欠かせないことが、全ての生き物にとって水が命の源である第一の理由でしょう。これには水自身の持つ静電気的性質が係わりますので、皆さんが将来勉強して下さい。水分子の中にある水素結合が生体を構成する多くの高分子化合物(例えば、核酸、タンパク質など)の構造に欠かせない主要因子となって命の営みの基本的条件を水が与えることになり、
図1:植物細胞
それによって水を介した多くの酵素反応なども係わって来ます。膜という境界を作り得ることになったことで、先に皆様が図1(第4回参照)で見たように細胞を構成する膜の内部に異なる働きをする種々の小さな細胞内器官を設けて、細胞内での命の営みの分業体制が成立することにもなりました。このエッセイは生命科学の教科書ではないので、全ての細胞内構造物の役割に触れることはしませんが、先に第4回で太陽エネルギーを用いての有機物生産に際して邪魔になる水から発生した酸素を除く働きをしていたミトコンドリアを登場させることで、生きるという命の原理に水を登場させることにします。




進化は生きるための電子を水から得ることを可能にした

生物は有害な酸素への抵抗で進化した
電子を水から得ることこそが、動植物にとってどうして水が命の源であるのかの第二の理由です。前回、私は夜には植物も動物と同じ生き方をしていることを話しました。つまり、植物は日中に太陽エネルギーを具体的な有機物という化合物に姿を替え、夜になると再びそれを再利用してATPとNADPHを作って生きているということでした。また、植物を丸ごと食べる動物達からすれば、植物が夜間に利用する細胞内に蓄えた有機物を含めて、植物体全体をATPやNADPHの生産のための食材としているところに違いがあるだけでした。しかし、これらの生き物は全て、大気中に酸素が満ちてから登場した、進化を遂げたもの達です。とすれば、第二の水の役割を考えるとすれば、現に命を支えている水の働きが、つまり生き物の進化が大気中のあるいは海水中での酸素濃度の高まりに連動して出現することになったことを学んでおいた方が良さそうです。それを簡潔にまとめているのが、既に皆さんが目にしてきた第4図です。多様な生き物が生まれて活躍し始める時期は、大気中の酸素濃度が現在(約21%)の百分の1にまで上昇してからです。そして、酸素濃度が現在の十分の1にまで上昇しオゾン層が形成されて始めて有害な紫外線Cが減少し、生き物達が陸上生活をすることが出来るようになりました。それでも、幾度も述べて来たように酸素は生命体を造りあげる、つまり有機物を生産するという還元反応をうまく運ぶには邪魔なので(第5回参照)、植物達が陸上に進出して光合成の明反応で水を分解して盛んに大気中に酸素ガスを放出するようになると、有害な酸素から成長する子供達を守らねば子孫を遺すことが出来ず、植物も動物も高い酸素濃度をうまく避けるために、それぞれ最も進化した赤ちゃん・子供を酸素に直接触れさせずに育てる被子植物や哺乳動物達が出現することになりました。

有害な酸素を活用する知恵を得た生物
有害な酸素に満ちた自然環境の中で、逆に酸素を巧みに活用して生きる知恵を生み、その役割を担ったのは緑色植物が光合成に際して邪魔であった酸素を処分するために造り上げていたミトコンドリアでした。酸素の存在のもとで生きるとき、進化を遂げた生き物達はその働きだけを借用することにしたのです。夜の植物や光と無縁な動物達はこの細胞内器官を巧みに活かして、水から電子を得る手段を獲得し、酸素を単に有毒な気体ではなく、生きるに不可欠なものとしたのです。これらのことを理解すると、農業団体が農業には酸素を供給する環境保全産業としての役割があるとか、森林は酸素を放出するから大事だと言うのは間違いであることに気付くことでしょう。生き物達にとっての歴史は図4から理解できるように、むしろ酸素との戦いであり、森は水の循環をもたらし、大気浄化に働き、結果として地球温暖化の阻止に欠かせないから重要なのです。次回は、このことをもう少し深く調べて見ましょう。


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