森の世紀が始まりました (第11回)
── どうして水は命の源なの (8) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授  江刺洋司

前回話したことは、緑色植物が陸上に繁茂し始めてから、酸素ガスが大気中に21%も含まれる現在の自然が造られたのは、およそ27億年の月日を掛けた生き物達の進化の成果だということでした(第10回、図3参照)。しかし、それは自らが成長し子孫を遺すには邪魔な酸素に満ちた自然でした。それまでは緑色植物は細胞内で日中に生じる有害な酸素を除くためにミトコンドリアを主役として働かせ、またミトコンドリアを活用して夜を生きる知恵を生み出しました。その知恵こそ、光合成反応には有害な酸素を除く働きを逆に利用して、酸素(電子の大きな受け手)に電子を渡す過程で生きるのに必要なATPを大量に生産しようという、いわゆる酸素呼吸の道筋です。このようなミトコンドリアの働きは、何時の間にか動物達にも取り入れられ、ミトコンドリアの働きに依存する酸素呼吸という生き方が、今や殆ど全ての生き物達に当たり前のこととして定着してしまったのです。しかし、酸素がなくとも生きる微生物もまた依然として存在します。それはミトコンドリアを舞台とした酸素呼吸に辿り着く前、酸素に依存せずにそれに代わる電子受容体に、つまりある種の有機物や酸化状態の無機物質に電子を渡してエネルギーATPを生産し、出来ればNADPHに代表される還元力をも獲得して子孫を遺そうというのです。そこで、今回は先ずそのような微生物の生き方をもう少し詳しく調べることにしましょう。


酸素のない場で生きる微生物達―─無気呼吸・醗酵

酸化還元反応での電子のやりとりとエネルギーの発生が全ての基本!
ところで、これまで幾度も出て来た酸化(電子の放出)と還元(電子の受容)は常に関連し合って進む反応で切り離せないことから、それらに関わる反応は酸化還元反応と呼ばれ、その際に電子の流れが生じるため必ず幾らかのエネルギーの発生を伴うことを理解しておいて欲しいのです。薪やガソリンを燃やす、つまり酸化する時には熱が発生し、それで風呂を沸かしたり、自動車を走らせていることは皆さん知っていますね。その時には、薪やガソリンは電子を放出し、それを大気中の酸素ガスが受け止めて、つまり酸素の方では水に還元される反応が起こっていて、その際に熱を発生させたのです。ただ、その際に二酸化炭素も発生することから、地球温暖化を速めてしまうと心配されているのです。しかし、地球上にまだ酸素が生まれていなかった大昔(第10回、図3参照)は無論、現在でも生き物が酸素を消費してしまって無酸素になってしまった環境に出会うことは特別なことではありません。そこで、先ず酸素が出現する以前の環境下で、光に頼らずに生きる命の有り様をもう一度見直してみたいと思います。

エネルギーATP生産効率の悪い無気呼吸

先に、第9回の「生命は太陽光とは無縁な深海の暗闇でも躍動しています」で化学合成独立栄養細菌と言われている生き物達も光に依存せず、太陽光が造り出した有機物を餌とするでもなく生きており、更に深海での様に多量の電子を放出する条件が整っていれば、二枚貝などの進化した動物達さえ育て得ることを話しました。この場合には、電子の受け手が酸素ではないので、無気(嫌気的)呼吸の一種です。逆に電子を放出するのが有機物であって受け手が酸素以外のものであれば醗酵と言われ、同じく無気呼吸の一種ですが、有機物から電子を得ながら、その受け手は酸素でないという特徴のある生き方をしています。これらの生き方でのエネルギーATPの生産量は、ごく僅かです(第5回、図3、光合成細菌の場合を参照)。例えば、深海の噴気孔から大量の硫化水素が噴出しているような場合には、多量の電子を放出することと等しいので、生産したATPの一部を還元力の生産に回すことで、二酸化炭素の還元で多量の有機物を生産して、二枚貝さえも育てることが出来ましたが、無気呼吸では余裕ある多量のATPを供給出来ません。これらの無気呼吸でATPの生産量を決めるのは、原則的には電子供与体と電子受容体との間の電位差で、酸化されにくい場合に電位差が大きくなり、大量のATPを作れます。ところで、電位差が小さく先の硫化水素の供給のように電子供与体が大量に存在するような好条件に恵まれることはめったにないので、還元力の形成にまで回せるほど大量のATPを生産出来ないのが一般的で、そのような条件下では小さな嫌気的な細菌類が増殖できるに過ぎません。

ミトコンドリアをもつ酵母は無気呼吸、酸素呼吸の両刀使い
一方、無酸素条件下で従属的栄養生活をする代表は、有機物の腐敗に関わる多くの細菌群です。しかし、悪い印象を与えるものだけでなく、有機肥料の生産にも係わっていますが、醗酵産業として人類に役立っている有用細菌や微生物が沢山います。皆さんが好きな乳酸飲料や大人が好きなお酒、ビールやワインなどは醗酵の産物です。それらは乳酸菌や酵母が炭水化合物を乳酸やアルコールに変える過程で生じるエネルギーを使って生きて(増殖)います。両者共に、嫌気的呼吸の産物ですが、アルコールの生産に働く酵母だけは、酸素ガスが存在していても増殖できる微生物ですので、乳酸菌や先の化学合成独立栄養細菌とは違って、体内にミトコンドリアを保有していることになります。ということは、酵母は酸素がなければ、ATP生産上きわめて効率の悪い醗酵という嫌気的呼吸で生きざるを得ませんが、酸素が適当量存在すればミトコンドリアを稼動させて多量のATPを効率的に生産できる酸素呼吸をし得る両刀使いとなります。つまり、酵母は高等動植物と同様にミトコンドリアに依存した生き方も出来るということですが、この事実は嫌気的呼吸と酸素呼吸との間に何等かの密接な連関がありそうだということを暗示しています。ここに、命と水との関わりを解く鍵がありそうです。

樹液に集まるカブトムシ。ここにも酵母が一役かっている
樹液に集まるカブトムシ
 写真16:樹液のよく出ている一等地を確保する
       カブトムシ

自然界では、酵母は樹液の一部を醗酵でアルコールに変えることで香りを発散し、皆さんが大好きなカブト虫や蝶などを樹液に誘っています。森の中では樹液に群がる虫の世界が広がりますが、其処に集まる虫達にも順位があり、強いもの勝ちとなります。次回こそ、いよいよ進化を遂げた多くの命にとって水がどうして不可欠な存在なのかに迫ってみましょう。


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