森の世紀が始まりました (第12回)
── どうして水は命の源なの (9) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授  江刺洋司

コウジカビ

写真17:酵母
(写真提供:株式会社 興人)

自然界のいたるところで生きる酵母(写真17参照)は、森の中でも多くの昆虫を誘う働きをしていますが、それは無気呼吸(醗酵)で樹液の一部を気化し易いアルコールに変えて、香りで餌場を教えています。しかし、酵母も充分な酸素に触れられるならば、醗酵をせずに昆虫や夜の植物と同様に酸素呼吸をして生きています。醗酵という過程は全て原形質で起こりますが、酸素呼吸はミトコンドリア(第4回,1図参照)を舞台に起こります。酵母は酸素がある時とない時でどのように生き方を変化させているのでしょうか。


酵母の生き方から学ぶ──嫌気的呼吸アルコール醗酵は解糖系

酵母は糖分を食べて分解する
酵母が食べることができるのは、樹液の中に含まれる糖分のように、緑色植物が光合成で作った有機化合物でも、ある程度まで分解された低分子の炭水化物に限られます。ですから、ワインのようなものなら、葡萄を潰して樽詰めにしておいただけでやがてアルコール醗酵を始めます。一方日本酒のようなものになると、先ず最初にするのは米の主成分である澱粉という炭水化物をコウジカビを用いて、加水分解して糖化せねばならないのです。米を先ずご飯にして、それにコウジカビの胞子をまぶして保温し、このカビの分泌するアミラーゼ(私達の口の中で分泌するよだれに含まれるものと同じ酵素)を働かせて、グルコースに糖化し麹というものにしてから樽に酒酵母と共に詰めて寝かせるのです。

日本人が大好きな味噌や醤油の原料となるコウジカビ
コウジカビ

写真18:糸状に成長するコウジカビ
(写真提供:独立行政法人 食品総合研究所)


ここで最初に活躍するコウジカビ(写真17参照)は日本人の食材を豊かにしてくれる重要なカビで、出来た麹は味噌・醤油などの原料です。なお、カビの仲間は細胞分裂を繰り返しては伸長して糸状になって分枝し、有機物があれば何処にでもはびこる嫌われものですが(糸状菌)、それらが酸素に触れ得るような表面においてだけ成長するということから、カビは有機物と酸素がなければ生きられない酸素呼吸をする従属栄養の生き物で、前に出て来た多くの菌類とはエネルギーの生産様式が基本的に違うことが分ると思います。したがって、麹として完成させるにはご飯の中に酸素を吹き込むように、保温しながら時折ご飯をかき混ぜなければなりません。このように、澱粉のようなグルコースという糖分子の多くがいろいろな繋がり方をしているものを分解する際にも、水分子が必用ですが、この加水分解と言われる反応に必要な水が命の源でないことは、ワイン酵母が働くには加水分解が不要であったことから理解できるでしょう。

酵素は体内でも大切な役割を果たしている

余談になりますが、緑色植物も夜になって最初に始めることは日中に葉の細胞内に蓄えた澱粉粒を加水分解することですが、その点では私達人間と全く同じ作業をしていることになります。ただ、多くの昆虫の幼虫を含めた草食動物は、澱粉をグルコースに糖化する酵素以外に、セルローズという細胞壁を構成する繊維成分をも分解するセルラーゼという加水分解酵素を持っていて、それをもグルコースに糖化して餌とする能力を持っているところに違いがあります。特に、ミルクを大量に分泌してくれるウシは胃袋を二個持っていて、第一胃には草と一緒に酸素をも飲み込んでしまうことから、微小動物群を含む酸素呼吸をする微生物群を育てて、糖化し難い炭水化物を利用し易いように小さな分子にして第二胃に送ります。当然、酸素は消費尽くされていますから第二胃では嫌気的呼吸をする細菌達の活躍の場で、腸で吸収し易いように更に低分子化するという分業体制で私達が飲む分までも大量にミルクを分泌してくれるのです。同じ草食動物でも、ウマとウシの糞の違いを見れば分りますね。ウシの糞は乾燥すればそのまま有機肥料として使えますので、牛糞肥料として販売されていますが、ウマの糞にはまだ多くの繊維が含まれていて、肥料として販売するほどの価値はありません。人間に近いサルの仲間でも、樹木の葉を餌として生きているものがいますが、それらの胃では、人間の唾液や胃とは違ってセルラーゼをも分泌しているので、餌にできるのです。
私達人間も、健康な時には食事の際に僅かですが同時に空気を飲み込みますし、小腸の運動も活発なのでそちらまで酸素が運ばれて、食べたものをほぼ完全に分解して吸収してしまい、食べたものは殆ど完全に酸化されて腸の中に臭いガスが溜まることはありませんが、体調を崩せば小腸の運動も悪くなり、酸素も送られないことから酸化は不完全となって臭いガスを溜めることになってしまいます。皆さんも実際に経験しているかな。

 

酸素呼吸と発酵の分かれ目はピルビン酸
さて、再び酒酵母に戻ります。炭水化物が糖化を終えるといよいよ嫌気的呼吸、アルコール醗酵を始めることになりますが、グルコース(ブドウ糖)を原形質の中にある種々の酵素の働きでアルコールにまで酸化するには、先ず最初にグルコースをATPを用いて活性化しなければならないので、それを差し引くとアルコール醗酵過程で供給できる実質的ATP量はごく僅かになってしまいます。ATPを大量に供給しないことには細胞分裂をして増殖するためには、NADPHの形成に回す分までのATP量を確保せねばならないので、盛んに二酸化炭素を放出しながらグルコースの分解を急ぐことになり、樽の中にはアルコールが溜まってくることになります。特に、大麦からの糖分を好むビール酵母の場合には、培養樽の密閉度合いを高めて醗酵させるので、醗酵液にはアルコールと共に二酸化炭素を多量に含むことになり、コップに注ぐと二酸化炭素が泡となって溢れて来ます。日本酒づくりでは、瓶詰めの前に濾すので二酸化炭素は含まれず透明なアルコール飲料となってしまいます。実は、乳酸醗酵の場合も最終段階までは同じ経路を辿ります。アルコールにするか、乳酸にするか、それとも酸素呼吸に持ち込むのかの分かれ道にある物質はピルビン酸(焦性ブドウ酸)で極めて重要な分かれ道にある物質です。そこで、この分枝点で生き物の周囲に酸素があるか否かで無気呼吸と酸素呼吸とに分かれて行くことになりますが、この点までの共通な原形質中で行われる代謝経路を解糖系と呼び、全ての従属栄養の生き物で極めて重要な代謝経路となっています(後にこの詳しい道筋は第18回で図8に示されます)。いよいよ水が主役を演じるミトコンドリアを舞台とする段階が始まります。

写真提供
食品総合研究所
独立行政法人 食品総合研究所



株式会社 興人

※今回のエッセイの趣旨に同意してくださり、快く写真のご提供をしていただきました。
それ以上の協力関係はございません。


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