森の世紀が始まりました (第1回)
─ 21世紀は「水の世紀」・「森の世紀」です ─
日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授 江刺洋司
数年前から始まった21世紀は「水の世紀」あるいは「森の世紀」と言われているのを皆さんは知っていますか。今回から、どうしてそのような名が付けられたのかを理解してもらって、皆さんがこれから生きる時代こそ、私達先輩がしてしまった人類の棲む家、地球号に対する取り返しが付かない破壊行為を許してもらうと共に、反省として多少とも手直しをする知恵をバトンタッチしてみたいと思います。
そこで、それを話す前に、話している江刺洋司という私を少し自己紹介させてもらうことにしましょう。先ず、写真で紹介しますと、皆さんの中にも知っている人がいるかもしれませんが、仙台市の都心に「広瀬川」という市民のシンボルとなっている川が、私の家の前を流れています。しかし、この川の上流地域での宅地の乱開発と、仙台市が持たねばならない公園の広さを満たそうとの目先のことしか考えなかった役人と町内会の人達などの計画で、「瀬」という河川の水質浄化の働きをする自然な重要な構造を壊して公園としてしまった結果、今は瀬のない河川となり、ホタルも1998年を最後に都心部からは絶滅してしまいました。それだけでなく、少年の頃に泳ぎを覚え、河原で水生の動物たちを追い回し、川砂から砂鉄を採取させてくれた「広瀬川」本来の姿は完全に消え、岩盤が浮き出た河川になってしまいました。しかし、今でもいくらかの自然が息づいており、子供達が巣立ってしまった私達老夫婦のお友達になったのが、この川を生活の場としているカモさん達です。家内と私は彼らが自然で独力で生きる力を損なわない程度に、お友達のしるしとして堤防の上からの合図で集まりおねだりする彼らに、直接パンくずを与えます。留鳥であるカルガモやアイガモが友達となっていますが、そこに写されているおじいさんが私です。まだ元気であり、第一線の科学者として働いた私の責任で、何とか20世紀に生きた大人達の後始末を出来るかぎりして、人類に日本にそして地域に幾らかでもお役に立って、人生の最後の責任を果たしたいと思っているところです。
20年くらい前になるでしょうか、私は世界の第一線で生命科学の分野で活躍していました。単に、専門分野で講演するとか研究結果を発表するだけではなく、生命科学の分野から地球号の明日についても発言を続ける科学者でした。そんなこともあってか、突然国連から直接コンサルタントとして助けてくれないかとの手紙が舞い込みました。国連とは人類のためにどんな仕事をするために作られたものかは、皆さん自身で勉強して下さいね。ところが、私達の住む地球という太陽系の中の一惑星が、20世紀で生きてきたような住み方を今後とも続けるなら、間もなく地球自体が人類が住めない惑星に疲弊してしまうことが予測されるようになり、従来の国連本来の仕事とは別に、地球自体を子孫に遺し伝えるためにどうしたら良いか、真剣に考えざるを得ないことに気付いたのです。そこで、あらたに地球自体の在り方、環境問題を議論し、実行に移すための討議をする場としての国際会議が地球サミットとして別に設けられることになりました。その時に、私は動植物の絶滅を防ぐと共に、貴重で有用な動植物を人類が共有して利用して、いくらかでも長く人類がこの地球を住み家として生存するための分科会の専門家委員として知恵を提供して欲しいとアジア地区からの一人として招かれました。
そのような経過で作られた国際法に「生物多様性保全条約」があり、日本政府もそれに賛成して、現在環境六法の中に、「生物多様性に関する条約」として記載されています。この条約は二つの理念から成り立っています。その考え方の基として人類もまたその仲間であり共に生きるのだという認識がありますが、第一は、現存のそれぞれの生き物をなんとかその自然のままに保全・保護しようというものであり、第二は、人類にとって有用な生き物は遺伝資源として利用する工夫を続けましょうというものです。残念ながら、日本では前者の保護・保全の方が関心を呼び、各地に多くのそれに関する団体が生まれています。勿論、これも重要で、二度と日本の空にトキが舞う姿を見ることが出来ないような事が起こってはなりません。しかし、全く同じ価値で、太陽系の老化のためにやがては人類が住みたくとも住めなくなる日までは、何とか人類が住み続けることができるように、20世紀に犯したような環境の荒廃を進めるような過ちをしてはいけませんし、有用な遺伝資源を分け合って利用することで少しでも長くこの地球号の上で人類が生きる知恵を働かせ、その考えを共有することが重要です。私が所長を務める日本樹木種子研究所(http://www.wood-seed.jp)もそのような目的を掲げており、皆さんのそして世界のためにお役に立ちたいと願っています。
どうも第1回は、単に私の紹介だけで終わってしまいそうですので、最後にどうして新世紀が「森の世紀」と名付けられているのかだけは、説明しておきたいと思います。皆さんの中には、EU(ヨーロッパ連合)を構成する国の政党には「緑の党」があり、実際に政権に参加していることを知っている方もいると思います。ただ、日本のように海洋国家に生まれた皆さんには考えにくいことでしょう。どうして、森がそれほど重要ならば、日本にはそのような政党が生まれないのか不思議ですね。EUも一部の国を除いては、中国、中近東、アメリカ、アフリカやオーストラリアと同様に大陸に存在する国家です。このような大陸の国では、海から離れるほど降雨に恵まれなくなるので、森林から蒸発する水蒸気(蒸散作用)に頼って水を得ることになります。Clodius とKellerという二人のドイツの科学者が1931年から1960年にかけてのドイツにおける降雨の平均量とその分配とを推計して報告しています。彼らの報告によりますとドイツのある地域の総降雨量は年間825 mmですが、大陸であるためにその内の約半分45%に当たる371mmは森林からの蒸発から得られた雨水だったのです。その当時に、人間が利用した雨水は僅か7%の58mmでしたが、重要なことは彼らが飲むコップ一杯の水の凡そ半分近くが森が供給してくれた水であったという事実です。全ての生き物は(特殊な細菌を除く)水無しには生きられません。水こそ命の源であるという想いが「緑の党」を生むことになったのです。日本人のように海に囲まれた国に住む人々には考えられないことですね。私達にとっての雨水の98%は海の恵みです。逆に、海に恵まれない、あるいは恵まれても、赤道直下で太陽光が強すぎて直ぐ乾燥してしまうような大地に住む人々にとっては、水を得ることが出来なければ、自分自身の命を保てないだけでなく、作物を造ることも、畜産を営むこともできません。ですから、国際社会は水の奪い合いしての民族間や地域間の争いが起こらねばと心配し、「水の世紀」となったのです。20世紀に幾度も起こったパレスチナ紛争も本質は水が背景にありますし、降雨に恵まれた日本でさえ、歴史の中では田畑への水の奪い合いで争いが絶えず、各地にそれなりの定めが育っています。
第二回は、森林からの水とはどんなことか、どうして命の源が水なのかお話ししましょう。
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