3月11日金曜日、みなさんはどこにいましたか。私は港区三田にいました。マンションの1階。ぐらっとゆれたとたん、体がたおれそうになったので、あわてて机につかまりました。「玄関のドアをあけて!」と声が聞こえました。そうだ。にげ口を確保しなくては。となりの部屋の人もとびだしてきて、「つぶれたらどうしよう」といいながら廊下をうろうろしていました。
ゆれがおさまると、家族のことが心配になってきました。母は出かけているはず。母に携帯電話をかけたらつながらない。固定電話でもつながらない。電車もストップ。幸い、その日は車できていたので、スタッフ二人を練馬と高円寺に送っていくことにしました。でも車はまるで動かないし、道路を歩く人たちの多いこと!日常がこわれている……。
18時に事務所を出ました。23時ごろ花束を高くかかげて歩く男の人のうしろに高校生ぐらいの人たちが一列になって歩道を歩いていました。きっとどこかの避難所にいくところなのでしょう。先生がいっしょなら安心です。車道を歩いているあぶない人たちもいました。
結局、家についたのは夜中の2時。家族もみな無事で、母がいうには、一人でお留守番をしていた柴犬まるは、落ちた本や額ぶちや花びんの真ん中で寝ていたそうです。けががなくてよかった。
次の日、一応地震にそなえて非常用品をそろえました。たくさんリュックにいれすぎて、重くて背負えないことに気づき、ほんとに必要なものだけを入れなおしました。まるのフードもそろえ、愛護団体にあずけることになるかもしれないので、性格をメモしました。鑑札も首輪にぬいつけました。
ふつうに夕食の買い物にお店にいったら、米、カップめん、水、トイレットペーパー、ティッシュ、牛乳などがほとんどない。びっくり。次の朝9時30分に、郵便局にいったついでにスーパーによろうとしたらすごい行列。うんざりな気持ちになって、なぜか和菓子屋さんでみたらし団子を買って、花屋でチューリップを買って帰りました。
今回、息子たちの岩手に住む幼友だちがなかなか見つからず、心配していたら無事であることが確認されました。お母さんがメールで送られてきた避難所でのMちゃんの写真を私に届けてくれました。その写真をへやにはりました。ほんとによかった。でも命を落とした方やご家族のことを考えると気持ちがしずみます。
人間は自然をあやつれないのだなとすごく感じています。でも人には助け合いと思いやりが与えてくれる力がある。空になったスーパーの棚は、幻だったと思いたい。
私も被災地のみなさんのために自分ができることを、考えたいです。
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