「富士山頂に五百回登り続けて」


大貫 金吾

私が富士山を初めて登ったのは1955年8月25歳のとき、母を案内したときであった。 毎年登るようになったのは49歳からで、それ以前は5回しか登っていなかった。その頃の富士山は無雪期にたまに出掛けたが、現在と違って空き缶などのゴミが異常に多く、トイレの汚物が白い川となっていたりしていて、登る意欲が湧かなかった。加えて春夏秋冬の休みは高校山岳部の合宿や山行に顧問としての付添で、北ア、南ア、中アや近郊の山々に出掛けていたからであった。

50歳になったとき、体力的に高校山岳部員と行動を共にすることに若干憂いが生じていた。自分で後継者を育成しない限り山岳部存続の憂いまで生じていた。一応定年まで務めようと決心したが、この年代は組織の中枢のため、会議や雑用が多く、普段自分の体力トレーニングが出来ない。思いついたのは「登山のトレーニングは登山で」の言葉であった。その究極のトレーニングの場として地域的に近く、種々な課題が選べる富士山を暇を作っては登り続けることにした。

1980年成人の日、弟子で日本山岳会のチョモランマ遠征隊員に選ばれた小原俊から御殿場口からの冬季富士登山に誘われた。ここは富士山で最も広大な雪原が拡がる場所である。当時は双子山の脇にスキー場もあったが、標高1400mの駐車場ないし1250mの太郎坊から山頂を目指すのである。七合目あたりまではスキーを履くが、アイスバーンになった上部は長田尾根の手摺に掴まりながら山頂に登り、さらに剣が峰に立つ。登りに8時間はかかり、夕暮れ時までに車に戻る。60歳までにこれを27回繰り返した。最もハードな富士登山と感じている。

現在、富士山を海外登山のトレーニングの場としている人は大勢いる。五百回目の登頂に同行してくれた沼津の実川欣也さんは世界七大陸の最高峰登頂を目指している。2006年1月初旬には南極最高峰ヴィンソン・マシーフ登頂を達成し、残るは世界最高峰エベレストだけになっている。富士山登頂も間もなく250回になる筈だ。

私自身も一日二登や田子の浦から剣が峰を一日で往復などの課題を立てては富士登山を行った事もあった。

四季を問わず、四方八方から富士登山を続ける中、私が幾度となく心を奪われた大自然が創り出す様々な光景のごく一部を紹介する。

秋から冬にかけて東方が快晴の朝、相模湾が開け、その先に三浦半島、さらにその先の房総半島の先の海から太陽が姿を現す。海から直接昇る光景もあると聞くが、黒潮のせいかどうしても若干雲が有る。その様な光景も滅多に遭えない。。 (写真2参照)

恐怖を感じる光景にも出くわす。大きな高気圧の中心が上空を覆う穏やかな日、絶好の登山日和だが、午後3時頃になると東側の標高2500m付近を真横に上空の青空と下界のスモッグを含んだ空気の層にハッキリ分かれる。翌朝はそのスモッグの中からいつもより赤い太陽が現れ、私達はあの下で生活していると思うと、恐怖を感じる。 (写真3参照)

御来光を剣が峰で迎えるとき、時たま富士山より高い影富士を見られることがある。太陽の高度が富士山頂の標高に達していないとき、西側にだけスクリーンとなる薄雲があれば本体より高い影富士が投影される。剣が峰の展望台から壮大な影富士が見える。 (写真4参照)

二月、富士山はまだ厳冬期、下界は浅き早春、相模湾にギラギラと光芒が輝き、そこにポッカリ大島が浮かぶ。噴煙がたなびいていることもある。春や夏は霞んでなかなか見ることができない。(写真5参照)

四月も遅く、太陽がやや北から昇るようになると、中空の太陽が三日月形の山中湖に反射して、真珠が輝くような光景を見せてくれる。(写真6参照)

富士山から眺める山々も、流れる雲で千変万化する。特に眼下に見える丹沢の山波の変化は面白い。西側に連なる南アルプスのひとつひとつのピークが高校生と何回も歩いた昔日の思いを甦えらせてくれた。これらの光景が私の心を虜にしてしまったようだ。(写真7参照)

氷雪の造形美にも感動する。風力と重力の合力で斜めに長く延びたツララ。浅間大社奥宮の狛犬が雪の中から顔だけを出していたり、滅多にない大雪で鳥居の笠木とその下の貫(ヌキ)だけが雪面から出ていたりしている珍しい光景も登山者たちを楽しませる。(写真8参照)

コニーデ(円錐形)火山の富士山には剣岳や穂高岳の様な自然が創った岩の殿堂は無いと思いきや、白山岳(釈迦ヶ嶽)の西端にある「釈迦の割石」は見事な岩壁で氷雪に覆われた姿は見事だ。(写真9参照)

これらの光景はいつでも見えるものではなく、条件が適さなければ見えない。年中、通い続けたから遭えたのだと思う。だが、中には意識して追い求めた映像もある。97年、4200年の周期で飛来したヘール・ポップ彗星に剣が峰とそのドームを入れた映像は測候所技官の誰も撮らなくて私だけに与えられたものだった。 (写真10参照)

はや70代も後半、これからは自分の体力に見合った富士登山が続けられればと願っている。いつも導いて下さる神様にはただただ感謝するばかりだ。

写真1:500回目の登頂を達成。
左から2番目が 大貫さん。
2006年1月26日現在通算501回登頂。
写真2:房総半島の先から昇る朝日
写真3:無風の日はスモッグから
朝日が昇る
写真4:スクリーンとなる薄雲があれば、富士山より高い影富士が得られる。
写真5:光芒の中に浮かぶ大島
写真6:山中湖に太陽が反射
写真7:南アルプス白根三山

写真8:富士宮口九合五勺の鳥居。
一定の風向きと重力により斜めに傾いたツララができた。

写真9:釈迦ヶ嶽(白山岳)右側の岩が釈迦の割石。御庭から七太郎尾根を登って撮影。
写真10:ヘール・ボップ彗星と剣が峰
97年5月4日撮影

写真撮影:大貫 金吾
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