富士山 日本一の「さち」の豊かさ

京都市立芸術大学 学長
中西 進

         

 日本人はなぜ富士山を日本一の山と思うのだろう。
 おそらく、むかしから日本人が尊敬してきた円錐形の山の代表格だからではないか。
 円錐形の山は今でもおむすび山とか飯盛山とかよばれて親しまれている。古来、聖山だった名残である。白虎隊の自刃も、どこでもよかったわけではない。
  しかし、なぜ円錐形の山が聖山なのか。時代をさかのぼると、ただ形が美しいだけで尊敬されたものはない。
 円錐形の山もむかしは「神なび山」とよばれ、ふもとのとりまく川は「神なび川」とされ、一 セットとなって神の山と考えられた。
 それでは、ここに込めた古代人の思いは、何だったのだろう。
 問題を解く鍵は、ふもとにある。きれいに整った山裾を広げる円錐山は、同心円的に扇状地を作る。その等高線に従って植物が生え、同じくもっとも快適な高さに応じて動物も住む。多種多様な動植物の生態系が、きちんと秩序立って仕組まれるのが円錐山だ。
 もし乱雑な山容であれば、山裾の様子も乱雑で生態系の程よい多様さには、恵まれない。
 古代人は、豊かな山裾の野で、好んで猟をした。獲物は「さち(幸)」といわれる。この豊かな幸を恵んでくれる山が、他ならない「神なび山」であった。
  裾野は広がっていればいるほど、幸が多い。そこで山が足を長く広く引いていてくれることが望ましい。「あしひきの」という山の賛辞は、そこから生まれた。
  奈良県五條市に、金剛山がみごとに円錐形を見せる場所がある。「あしひしの」山の裾が大野として広がっている。
  そこを古代人は、何と「うち野」とよんだ。「うち」とは命のことだ。「命野」とは、ふしぎな地名である。
  今ふうに考えると分かりにくいが、しかしそれこそ動物の命、植物の命、つまりは自然の命の豊かさにあふれた野が「命の野」=「うち野」だったのである。
 七世紀の中ごろ、時の天皇は「うち野」で大々的な狩猟を行っている。
 大々的な狩猟といえばすぐに富士の裾野の巻狩を思いだす。曽我の十郎、五郎兄弟がその折に親のあだ討ちをした話はとくに有名である。
  あれ程の高さがあれば「あしひき」が広いのも当然だし、広いなりに獲物も多かったはずだ。つまりはここも最大の「うち野」だったことになる。
  富士山が最大の「神なび山」だった理由もよくわかるではないか。


  『日本のかたち こころの風景から』
著者:中西 進
発行所:株式会社産経新聞出版
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